人間は生きる目標がないと、自堕落になったり、焦燥感や虚無感を抱いたりする。
一方、目標が明確な人は、生き生きと生活している人が多いかもしれない。
どちらが望ましいかと問われれば、後者だろう。
しかし、たとえ後者であっても、目標が実現すれば良いが、そうでない場合は前者の状況に陥る可能性がある。
「人生に生きる意味などない」とある高僧は言っている。
これは決してネガティブな文言ではなく、「人生とは自らの足で歩み作り上げていくものだ」という能動的な意味を持っている。
また仏教では「いまここに心をとどめて生きる」ことを重視している。
目標、希望、期待、夢を持つことは素晴らしいことだが、そこに心が張り付いている時、「心ここにあらず」の状態である。
つまり、目標はあくまでも自分が進むべき方向の目安に留めることが重要である。
カイロプラクターの仕事は、痛みなど患者の症状を改善させることだ。
しかし、そのことに固執し過ぎると、思わぬ結果が得られない時、落胆や自己嫌悪などネガティブな反応をしてしまうだろう。
それでは、カイロプラクティックを楽しむことは到底無理である。
結果は我々のコントロール下にはない。
唯一、コントロールできるのは、プロセスのみである。
つまり、結果ではなくプロセスに全てのエネルギーを投入することが、カイロプラクターとしての責務を果たすことになるのだ。
それができれば、極論結果がどうなっても大した問題ではないのである。